AKOAKO’s diary

著作家☆西洋占星術研究家☆古代史研究者☆森村あこのブログです♪

✨キリスト教と黙示録という病

 

 

ニュートン、『ヨハネの黙示録』の謎を解き明かす鍵が「ピラミッドにある」と考えていた

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(^∇^)アハハハハ!
バカだなぁ!っておもうけど
ヨハネの黙示録
あれが人気なのは
黙示.....ギリシア語でいうアポカリュプシス
明らかにするという意味合いがあり
ラテン語でいう暴露のような
聖典に認められない(ヾノ・∀・`)ナイナイ
って思うけど
未だに 議論されてるけど
その発端は古くからで
ヨハネの黙示録は2世紀に書かれたと言われているムラトリ正典目録に含まれており、A.D.397年に開催されたカルタゴ会議では、ヨハネの黙示録を含む27文書が正典
として認められた経緯がある
旧約・新約をとおしても『黙示録』は聖書の中で最もその扱いが議論されている理由は
聖書自身の自己証言による伝統的な理解では『ヨハネによる福音書』、『ヨハネの手紙一・二・三』、『ヨハネの黙示録』の著者をすべて使徒ヨハネであるとされるなか
西暦2世紀のパピアスは、この書を使徒の作とみなしていたものの
2世紀の殉教者ユスティヌスは自著、『ユダヤ人トリュフォンとの対話』の中で「キリストの使徒の一人で、名をヨハネという、ある人がわたしたちと共にいた。彼は自分の受けた啓示によって預言をした」と述べていたり
エイレナイオスは、2世紀末および3世紀初頭のアレクサンドリアのクレメンスやテルトゥリアヌスと同様、使徒ヨハネがその筆者であることを述べている。3世紀の聖書学者であるオリゲネスはこう述べている。「わたしはイエスの胸に寄り掛かったヨハネについて語っているが……彼は一つの福音書を残した……彼はまた、黙示録をも記した」。さらに、『黙示録』の著者は、自らを「しもべヨハネ」と称し、「神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた」と記
これは伝承による使徒ヨハネの晩年の境遇と一致する。また、新約聖書において「小羊」という言葉をキリストの象徴として用いているのは、『ヨハネの黙示録』と『ヨハネによる福音書』だけである。
一方で、著者「ヨハネ」に関してもほとんど知られていないとし、3世紀には、文体上の違いに着目、
ヨハネの黙示録』は、使徒以外の「違うヨハネ」の筆であることを指摘する議論があったことを、教会史家エウセビオスは伝えている
そして
『黙示録』(特に21章と22章)における終末理解と『ヨハネによる福音書』の著者の終末理解には大きな隔たりがあることを指摘する学者も多く
現代の聖書学者でこの説を支持しない者もいる。
だが、『福音書』の記事はイエス在世中の出来事であり、『黙示録』はイエス復活後数十年を経ての終末に関する新たな啓示を記した記録であるので、
そこに何らかの差異があっても不自然ではない
正直
キリスト教そのものイエスの死後のモノで
旧約からの派生でもあり
世界中の神話が
原点となる
起源を回帰していけば
いずれぶちあたるのは
メソポタミア(現イラク
だけど
ユダヤ教に関しては
その教義の起源は現イランの
ペルシア神話からで
キリスト教もだけど
犠牲の羊とか
そういう発想そのものが
ペルシア神話
キリスト教のなかで模倣や代理、犠牲、スケープゴート
転換や復活
こういうモチーフ
神と悪魔や善と悪、光と闇、終末論の原点は
ゾロアスター教ユダヤ教
ローマ時代にミトラス教を生んだ
キリスト教ユダヤ教の派生で
天地創造のときからイスラムの征服に至るペルシアの歴史を詩文にというのは
メソポタミアのシュメール文明の
神話も詩文で
古代の伝統的な要素
ちなみにゾロアスター教の原点の精神はなかなかに美しい
多くのエピソードが
善の勢力と悪の勢力
宇宙的闘争というのが
名君や暴君の
地上的闘争として描かれている
神話は フィクションで
幻想的で現実にありえないことを意味する
純粋な虚構の物語
虚偽であっても
あたかも真実のように
もっと言うと
出来事の真実や
信ぴょう性よりも
大切なのは道徳的な意義
こんな
当たり前のことすら
わからない
中世以降の
キリスト教徒が
いかに滑稽かは
彼らの行いは道徳的ではなく
キリスト教いがい認めぬうえ
多くの自然界とつながった
民間伝承的な療法の禁じ
たくさん 人殺しして
オラに言わせたら狂気
自らの出自を知らないからこそ
迷い子のようになっている
あれ止まりだと
歴史観が著しく歪められ
道徳とか精神にも
悪影響しかない
日本のばあい
失礼だけど
なんちゃってだ
だいたい信者数ほとんどいないうえに
ファンタジーなイメージ要素のほうが
全体に強く
科学を認めない教会が
つい最近まで
天動説だったくり
時代錯誤
でも 宗教では愚鈍で許される
なので
真実を追求させない
ニュートン
辿るなら
ペルセポリス
残念だけどエジプトじゃないだよ
笑ってしまいたいけど
これは
ルネサンスにもいえる
あれは大失敗で
ホントに懐古するならば
メソポタミア古代オリエントの神話を生んだ世界で
多神教だったシュメールは
エジプトや
アナトリア半島の文明やシリアやフェニキア
ギリシア、そしてローマと
習合されていったモノの根源を辿れないのが
西洋史(よーろっぱ)の限界で
西洋文明の祖先はギリシアということで
そもそもフィレンツェとか
古代ローマ時代には
元々は
エトルリア人の居住地で
直接の起源は
カエサルの執政官時代
(退役軍人)への土地貸与が行われ、ローマ植民都市が建設されたことによる
花の女神フローラ(Fl?ra)の町としてフローレンティア
とされた
なぁ歴史なんか無いに等しい
紀元前59年頃
カエサルはほかにも
現スペインや
ガリアのローマ化ほか
多くの 属州にも 影響を与えたけど
南は元々の 国家存在があるため
ローマはパトローネス状態で あくまでも 支配しなかった
北は
蛮人の跋扈する
組織化されていない
民族集団だったから
退役軍人の 永住先として
共同体構築したため
いまのヨーロッパがある
こんなこと
世界史で 学べることで
ヨーロッパの欠陥にも 気づけることなので
物の見方を
ヨーロッパの白人種 主体を輸入するだけだと
まったく 真実から
かけ離れていく
中世以降の イリュージョンの世界を押し付けられるので
こういうの読むと
暗黒時代の 笑えるエピソードであっても
この時代では 古代オリエントの世界にまったく
精通できていなかったんだろうな
っていう限界をおもう