AKOAKO’s diary

著作家☆西洋占星術研究家☆古代史研究者☆森村あこのブログです♪

世界線を越えるということ


 

 視点が変わると

 世界が違ってみえるように

 気がかりや

 悩みや障害も俯瞰してみると

なんということないと思えるとき

 あなたは

  新たな世界線に至る

 

 どこへ向かうのかは

 あなた次第

 これまでも

  選択と行動を繰り返し

 あなたは幾多の世界線を越えてきた

  そして今も……

 

 

今日のメッセージ 2022 0123

 

 ↑ 今日のメッセージにのせた文を丸っとのせた

 

今日はふと

 世界線に関する夢を見たので

 

 そういえば こういうのも書いてもいいかな………と

 

 これは異世界的な世界線というよりも

 現実を選びとる連続で越えてきたプロセス

  そして いまも その途上にあるということ

  この瞬間にあなたがつながった世界が

  それまでのものを維持する場合

   変わった行動や選択をしない よくあるルーティーンで

 終始する

  変わらない選択

  コンフォーゾーンを越えないための拘束  

  無自覚でやってるとしたら そういう選択を

  すでに設定してるだけ

   あなたは いつだって 変われるし変えられる

  いまのように 不可避な社会情勢による拘束は

   かつて戦時下で不自由を強いられたのと似ている

  これが終わるとき

   世界は その様を 変貌させる

 

   変わる世界に至ったときに

    あなたが どうありたいかを

    十分に考えて そこへシフトすると決めること

   これを 節分までに行っておくといい

   立春から はじまる世界は春分まで

    プランや計画について再確認や調整

    春分いこうは着手でスタート

   もう以前から 十分以上の年月かけて 

   ずっと積んできたものがあるなら 

    立春から早期スタートを切ってください

   

  とても簡単なプロセスでも   

   年を重ねるほど難しくなるのは  

   理性やそれまでの経験が邪魔するから

 

   若いうちは そうした経験則からくるおもいこみや

  狭い価値観を共有していない 半アストラルなくらい

  意識が自由であるために あっさり実現しやすい

   前例にないことを 簡単に具現化していける

   

   邪魔するという言葉があるけれど  

   邪はヨコシマさや 邪心というように

    心のネガティブな面

   魔は悪魔や妖魔とかいう 想像上の存在を生んだ人間の欲が

  もとになっている

   無邪気という よく子供をあらわす言葉には 

   邪気がないという 子供は無垢で無心であるがままの存在だから

  なので 年を重ねるほど

   現実が問題なのではなく

   心に 邪魔を作り込んでいる

   それを 他人や環境のせいにするため 

   そうなるとたいてい うまくいかないから

  ますます 邪念を持ったりして、 

   自分だけ不幸とかいきすぎた 被虐心まで抱くような

  偏向に至ると 拗れまくってるから 

   まぁ救い難い

   (ノ)*・ω・*(ヾ)モフモフ 

   まずは 自分を顧みろって言われるのはそういうこと

  多くの問題は 内在に根拠が ようは因果の因がある

   それを あなたは悪くないとかいう

  耳あたりのイイ言葉で誤魔化す 詐欺スピは

   一瞬は功を奏すかもしれないけれど

  抜本解決にならないので またすぐに行き詰まる

  その繰り返し

   あ そんな話じゃなかった

   重要なのは 最悪の自分も受け止める度量と覚悟

  それは他人に任せないこと 

   自分の心は100%自分のものなのだから

  それは自分が決めると言えるかどうか

 

   ものすごく当たり前のことだけど  

   なってない人たちがいて そういう人間は確かに邪魔者となるから

  要注意である そういう関わりを側に置いてるとしたら

   依存心を取り払うこと

   そうすれば 対象との関わりも消失するだろう

  ようは 敵対者としての 役割を終えるから

   あなたは あなたの人生を何度でもリセットできるし

   リプログラムできる

 

   もし 再び世界線を越えたいのなら

    そのチャンスはいつもあるということ

   

  今日は ふとそんな夢をみてたので  起きつつある意識のなかで

   ああ そうか 何度も越えてきたっていう確認をしていた  

 昨日は2年ぶりの 奈良の若草山の山焼きがあったらしい

   若草山は別名で三笠山と呼ばれる 

  春日山西峰の聖域のあの 三笠山とは違うよ

   (あっちは原生林だから) 

 若草山山頂には前方後円墳の鶯塚古墳(全長約103m)がある

東大寺の東にある山で

標高342m。嫩草山とも書く。

全山が芝草でおおわれ,山容が三重になっているため俗に三笠山と呼ばれ

若草山山焼きには奈良全体の防災、

世界の人々の平安を祈るという意味も込められている  

 去年は コロナ禍で規模も縮小して行われたのに、雨で燃え広がらず

 日(火)を改めての焼き直しもしなかった

  昨年のそのニュースも覚えてるけど、あーあって思った

 コロナ禍まだまだ続くな……って 

   (ノ)*・ω・*(ヾ)モフモフ 

  まぁ そんなの迷信だって言いたい人たちの気持ちもわかる

  そういう人は この理の世界で人が何に依って何を維持して

  どういう機能でいるのかも 考えたこともなく

   きっと意識も孤立無縁のような 自我だけで生きてるだろうから

 見えざるものは存在しないものとして 扱っているだろうから

  これは そういう ポンコツな人へ向けて書いてるわけではない

  もうすでに ある種の透徹した意識に至り

  かつての聖人や古代の意識が残したものでは 

  とうてい足りない 超越意識のなかで生きてる人に向けている

   現実感覚が異なるので

  物質世界の修行もおえた 再構築される 世界のなかで

   ようは位相世界でいきてる ことを自覚した人たちは

   もう価値観がそうとう異なってると思うので

  こういうのを書くことで さらに気づきが深まるだろうと思うから

   現状がアクティブでないことの意味が

   これまでの世界線はすでに越えてるからで

  もうそこには戻らないし存在しない

    (ノ)*・ω・*(ヾ)モフモフ