今日は明治天皇について...語ろうと思うのだけれど
明治天皇について書く前に
前回、孝明天皇について書いた記事で崩御から152年と書いたけれど
あの年、1866年は、 3月にスーパーブルーブラッドムーンが起こりました。
今年1月と同じ現象ですが、 1866年は3月1日、そして3月31日に起きた天体現象で。今年年明けのは152年ぶりの宇宙イベントでもあったとです
日本は慶応2年(1866年)のまさに幕末期で、この年の3月に薩長同盟が成立(3月7日)、
坂本龍馬が寺田屋で襲撃され(3月9日)、 年末に孝明天皇が崩御... 翌年2月に明治天皇が即位
徳川慶喜が江戸幕府15代将軍となり、最後の将軍として、明治維新へ向かっていく
そういう日本史上の重大な出来事が 怒涛のように起きた年でもありました。
この一年が日本を変えたといっても言い過ぎではないくらいの事象の連続ですが
時系列を追うと
あまりに出来レース
そう思うのは、オラだけではないと思う
坂本龍馬は翌年、1887年近江屋で暗殺された...まったくの私観だけど薩摩藩陰謀説がゆうりょくだと思っている
というのは、龍馬は、諸侯会議による新政府の設立を説いており、大政奉還を受け入れた徳川慶喜をそこに含めることを想定していた。武力討幕を支持していなかった。そういう意味では孝明天皇と 同じような穏健派だったから。 薩長は、武力倒幕と旧権力の排除を目指していた。龍馬の存在は邪魔以外のなにものでもない。武力倒幕派の暗躍説は、信ぴょう性があると、オラは思っている
そして、その背後には、グラバー系、英国勢力の目論見があってのことだったと思っている
戊辰戦争に大量武器を補給した英米は、新政府樹立の前から 根回ししていた
それは、現代でも同様だけど、本当に彼らのやり方は、変わらない。 傀儡政権が作れれば植民支配あるいは、表向きは手を出さない。 それだけだ。
黒幕説はゆるぎないと個人的には思っている。実行犯は薩長だったというだけで
こういうこと書き始めると どんどん逸れかねないので
このくらいにしておくけれど。所説あるので、 そんな見方もあるのだとおもってください
別に、ひとつの方向性に導きたいわけじゃないので
暗にいってるだろう! っていうのはお約束w
ゴールがないと 文章は成立しないので...(;・∀・))
寄り道はともかく、、この時期は、怒涛の変革モード
1866年3月は、初旬は天王星は双子座29度でノーアスペクト。
そのあとの新月のとき 蟹座入りして太陽とスクエア
次の満月時には
山羊座10度の太陽は海王星とぴったりコンジャンクション。
天王星が星座移動するときは、大きな変革期だと前にも書いてきました。
今年でいえば、3月、天王星は、牡牛座に完全移動します。 牡羊座入りした8年前は2011年、震災の時期でした。
蟹座は、国家やルーツをあらわします。 この象徴に移動し、それから加速度的に、世相を変え、それまでになかった新政府を建立し、 天王星はすべてを変えるわけでなく一部異変というのが定説ですが
徳川幕府の体制を 上手に利用して、上書きしていったというのがオラの見解です。
これ以上かいていくと、、明治政府、そして明治憲法と 明治天皇から離れるのでいったんここで終えておきます。
日本の精神というものも 近代化で作られたといってしまえばそれまでなので
天皇家に関しても、秀吉と、秀吉を取り巻いた公卿に拠って復権した「権威」を封印したのは
徳川幕府で、250年 政治と無縁にさせられた
秀吉との間では、朝鮮出兵に反対していた後陽成天皇の存在とか、天皇家との関係が良かったかといえば、そこにはまた確執があったりしたけれど。 とりあえず口を挟む余地はあったのが
まったく途絶えて 政治は東へ移ったのが江戸時代
サイクル的には、数百年周期的なものかもしれない
そして、肝心の明治天皇だけれど
明治天皇、幼名 睦仁(祐宮)は流産で夭折(ようせつ)していたという説もあったり。
孝明天皇と中山慶子との実子は流れてしまったため、伏見宮貞教と鷹司積子との子を養子としてもらい受けたといわれています。
睦仁親王の御少年期であるとして広まった写真の人物は、孝明天皇の養子となった伏見宮貞愛親王だとも。
明治天皇として出てくる画像の代表的なもの
画像添付しました。
写真を見ると、いろいろ思うところありますが、
マロの系統じゃにないだろう! と
突っ込みいれたくなったり、
孝明天皇とは あまりに違いすぎるけど 伏見宮貞教の血を引いてるかも疑わしい。
って
本当に 言いたくなってもしょうがない
虚弱で、 つるっとした肌だった と記録にあるのに
明治天皇は痘痕顔だったという女官の手記もある
けれど
出生日が存在している以上は
それをベースにみるのが占星学なので
このあとは、
チャートをもとに解読していきます
(;・∀・))