写真はチュニジアの
チュニジアのスベイトラに残るモザイク浴場
ローマフォーラムでの初期のもの
7世紀までに重要性を失った
ととある西洋人の遺跡サークルで書かれていたので
いやいや
そうじゃない
もっと重要なこと どうして言わないと思ったので
下に書いた文面は
これもSNSにのせたことだけど
ローマの
キリスト教化(紀元303年)以降
それまでのローマの文化を根絶やしにしたからな
重要性を失ったのではなく
禁止したのですよ
しかも 時代を追うごとに 異端扱いにして
虐殺していったのだから
ローマ人よりもずっと 残虐なカルトが キリスト教で
多神教はカルトではない
彼らには永遠に理解できないだろう
その理由 まずローマ人は神々への祈願は神々にお願いするものではなく
戦勝祈願であれ
精一杯努力して果たすから どうか助力を与えたまえ的な
最後の一助を願うもの
一方
一神教は 生きる道を示す救いをもたらすもの
この不幸から私をお救いくださいと願う
多神教には こういう考えはないから
ちゃんと分離してるんだよ
人社会は 要は人の世は人によってしか成せないことを
けれども それだけがすべてではない
自然や時の恵や運とか
そうしたようは援護射撃を神にお頼みするのは
努力の上での神頼みは 日本人ならわかるだろう
きっと みんな自然にやってる
多神教は 神に縋るとかいう 思考じゃない
ようは奇跡をことさら求めるようなことしない
むしろ 奇跡は起こすものであって
ただ与えられるなんて 露も思ってないだろう
もっというと人間支配のシステムが一神教で
それ以外は厳罰 重罪に値するとか
多神教は よその神も一緒にまつってるから
ローマ時代神々は ローマ神話の神だけじゃないから
合計すれば30万を超える神々がいたとされる
他国の神々も認めてたから
さらに個々の神々も……
メソポタミア時代、シュメールでも3000以上
神々は存在した
一般的に数えられてる神々のほかに
ようは創造の神々のほかに 天体の神々
自然界の神々 農耕狩猟の神々 母神だけでもたくさん
地下世界の神々(死後の世界や冥界)
個人神、守護神
この個人神は その名のとおり個々の人間に
ついてる それぞれの神様
守護神は その家の神様であったり 国家にも守護神がいて
儀式とかで 神殿に祀られる神様に祈願するときは
まず個人神にとりなしの神にお願いすることからはじまる
日本に伝来してきた習わしや 神道のルーツは間違いなく
シュメールで、天皇家ともふんとは関係ない
それ以前から存在していた 禊や作法なんか
驚くほど 6000千年まえには 確立されていた
こんなこと書いてると まぁ 逆鱗に触れるとしても
一神教は その他の神神を認めると 成り立たないから
そもそも排他的で
そして 戦闘的で攻撃的なのが特徴
宗教が平和をもたらすとか嘘だから
一神教に限っては 宗教が戦争起こしてきたわけで
存在が そういう原理で成立してるから
ものすごい矛盾を抱えてる
人は神の元に平等
この 大嘘つきが! とか言いたくなる
これを理由に支配していったのだから
まぁいいんだけど
ろくに考えなしの人しか素直に信仰できないよ
まじめに考えたら 矛盾の塊のうえに不条理極まりない
あれで まともに育つなら
最初からポンコツか 信仰以前に 個人の純粋性の問題
教義はそれを歪める 性質を多様にふくんでる
さいきんの人たちは 教会に通わなくなったから
洗脳はとけはじめたんだよ
で
なんでこんなこと書いてたんだっけ
そうだった ローマの入浴システムを
断絶させた元凶
バカな一神教にそめられて
焚書坑儒に 神殿の破壊や乗っ取り
それまでの風習もみんな 断絶させたから
それ以前の 時代
ローマ時代にもペストはあったけど
あんな脅威じゃなかった
死者は出たけど
都市から逃げ出さねばならないような
パンデミックはおきてない
ペストの語源はラテン語でペスティレンティア
疫病を意味する言葉で
ローマがパルティアに勝利したとき
パルティアの復讐でもあるかのように
帰還兵の間で伝染した
伝染源がオリエントであることはあきらかで
当時の段階でねずみが介在してることを
ローマ人は知っていた
西洋史上ででてくるのは
紀元前430年の
この当時 スパルタとの間でペロポネソス戦争が
はじまっていたから 甚大な被害になった
アテネの黄金時代を築いた政治家
ペリクレスもこの時なくなっている
これに次いで 二度目にあらわれたのが
紀元後166から167のローマ
さっきかいた ペスティレンティア
しかしながら 上記の二つとも
これよりずっと後になる
デカメロンで 有名になった 14世紀のペストの
大流行のようにはなっていない
理由は以前にも書いたけど
入浴の習慣と 自然療法を保持していた
古代の人たちは 免疫力も高く衛生的で
蔓延の余地がなく 根絶できたってこと
ぜんぶ 否定して 異端扱いで たくさんの人たちを
惨殺した キリスト教下の 人たちが
大勢 死んだのは ある意味では自業自得
だけど そうはぜったい認めないだろう
でも 事実だ
こういうの読むと ふんと思うんだよ
自分だって もしも歴史に興味をもたなかったなら
こういうの鵜呑みにして
考えなしに 受け入れていただろう
だけど おかしいと思ってたのは
古代にも疫病は存在したのに
人口の大半がもってかれるようなことは
どこにも起きてなかった
それなのに なぜ❓
文明が進歩したというよりも むしろ
何かが退化していないと そうはならないのでは
生活の違いだけでは 言い表せない 決定的な理由が あるだろうと思ってたから
さもありなん って思うけど
古代の都市は 下水も完備していたのに
中世は 道に垂れ流しとか
野蛮な ようは ギリシア、ローマ時代に
蛮人と呼ばれた 国で勃興していった 中世が
暗黒時代の理由は ルーツが違うからっておもってる
彼らの残虐性に一神教はマッチしたのだろうとも……。
(ΦωΦ)フフフ…
これは下のTwitterの読んで
SNSでシェアしたときに書いたこと
2011.3.11は、そこまでも静かに進行していた日本語の崩壊が明瞭な形で顕れて、しかも極端になる始まりの日でした
— James F. (@gamayauber01) 2021年11月12日
「核は言語から意味を奪う」と60年代のフランス知識人たちは警告しましたが、あんな形で現実になるとは
ある意味では日本語と日本語社会は、あそこで死んでしまったのかも知れません
↑↑↑
これは 本当に同感
311
あの日は日本の半分が終了した日だとおもう
それは それまでの物と流れと文化のすべて
言語を喪失し
喪失感によるショックから
安倍なる妖怪が永田村を伏魔殿化しても
賛同者が多かった
再起させない気なんだとおもって
2013から オラはぶつぶついいはじめた
アンチを揶揄され 信者からみたら
オラのが凶悪だといわれても
魂を売り渡した人生を歩んでる
明き盲とは 話にならない
しかも反社の間違いじゃっていう信者がたすうで
そういう人たちが集団幻想に駆り立て煽り
ゲスの饗宴がはじまった
東京五輪にも反対したけど
それにも さんざん 食いつかれた
時代錯誤で いまやることじゃないと思ったけど
価値観の相違は 埋めようもなく
平行線だった
そして思った
日本人は 閉塞的な社会のなかで封建社会を維持してきた
農耕民族
もともと忍耐強く、お上は絶対
民主主義なんて土台無理とか おっしゃる方々の
言うことが正しい
オラは そうはいっても現代なんだ!って
思ってはきたけれど
遺伝子に染み付いた 根性はなかなか抜けない大衆は
反抗とか反対することに慣れていない
まともな意味で
ようは 反対はイコールで悪だと思い込んでるような
狭量さには辟易だけど
改善も望んでいないのなら もう 放棄してるのなら
国家としての寿命は長くないとおもっている
列島そのものが 捕虜の収容所なんだから
時代性に勢いがあり さらに健全なときは
多様性に満ち溢れる それこそが 宇宙の連環に則しているから
それが 一つの方向性に従わせ 主体性を失わせるようになると もう末期なんだよ
それすら気づけないのは
人は変わりたくない人たちのが多く
自分が選んだものは間違っていたとしても
それを認められない人のが大半だから
なので 同意をもとめるような 共感とかで
ようは 同じでないと安心できないような
村社会で
ディベート(違いの意見を 言うことで対立しても
それはそれ) というわけにいかないような
仲間なら みんな一緒っていう
無言の同調圧とか ちょっと異常なんだよ
そんなこと言うと オラのようなのは
合わせないと悪玉のように扱われる
ぜんぶが 一緒じゃなくても
譲れないものは大事にすることのが重要じゃない
全体主義って 農耕民族の特徴だけど
農耕してない人たちが大半なのに
じめった 粘質性だけ残ってるみたいで
自発的にヴィジョンを描かない
選択肢がないなら作ろうよ っていう発想を
たぶん 人生上でも 皆無なんだろうと思うけど
スタートから はみだして
生きてきたオラには ないっていう言い訳が
ずるさにしか聞こえないから
なんとかできるのに やろうとしないことが
なんか ふんと 方向性違うときは
もう歩調あわせるのやめようって
思ったけど
311のあと2年目くらいに 社会情勢きかれて
10年くらいは無理だろうと思う 実体経済は最低までいく
変わるのは それ以降 とりあえず 安倍さん時代は
暗黒だよ って言ったのは覚えてる
そのとき 何人かで会食したときで
怪訝な顔してたけど
そういう意味で来年は だいぶ 旗色がかわりはじめる
兆しはあろうとは思うけど
急進するポイントは 関東じゃないとおもう
なので 解体がすすむ
深部まで
何いってんのって思われるだろうから
これには触れないできた
もうそういうんじゃないんだよ
そして すでに 活気が今後あがるところは
まだ水面下での計画と上だったりするから
ふつうに機能はしてるけど
大地からあがってくるエネルギーっていうのが
311で 位相がかわったのは確かだとおもう
もうもどらないよ
さらにコロナ禍で 流れがおおきく変容するのは
日本だけじゃないけど
かつての同じ価値観でも もうはからないほうがいいとおもう
そういうのに依存したい人たちはご自由にって思ってるけど
Ako Morimura
11月14日 8:13 ·
プライバシー設定: 公開
11月3日(日本時間では2日)
太陽の再接近地点に到達した
地球に最接近するのは11月11日〜12日
地球から約61万kmで通過します
観測シーズンなのでUPしました
チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の発見は1969年
クリム・チュリュモフとスヴェトラナ・ゲラシメンコによって
発見されました
チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は、2つの彗星がゆっくりとぶつかって
そのまま結合したような2重の構造を持つ
アヒルのオモチャのような奇妙な形状が特徴的で
核の大きさは、小さいほうが 2.5 x 2.5 x 2.0 km、
大いほうは 4.1 x 3.2 x 1.3 km、
核全体の質量は1013 kg
約12.4時間に1回の周期で自転していますが
この彗星の軌道は一定していません
今度の最接近は望遠鏡や双眼鏡でも観測できるといわれているので
機会があったらぜひ
ちなみに11、12日の最接近では
見られるといわれています
明るい星がカストル(弟星)で
少しくらいのがポルックス(兄星)
ベテルギウスがあるので
すぐ見つかると思うです
*ここからは余談
双子座といえば双子座神話が有名だけれど
メソポタミア時代のシュメールでは
マシュタブバ・ガルバルと呼ばれた
マシュは双子や連れを意味し 武器を持った武人の姿で表現されたものが
現存しています。古代エジプトでは、セウバイ(二つの星々)と呼ばれ
ヒエログリフでも二つの星を並べて表現されました
双子は対立の象徴とされたのは
二元論のうみの親、ギリシア哲学者のエンペドクレス(紀元前490〜430)
物質の四元性(地、空気、水、火)の組み合わせから成る
二つの中心原理
愛と闘争など、相互作用によって活性化すると考えのもと
創造の二元的な力においてはどちらも独立して存在するのは不可能というもの
共依存なんていう言葉もあるくらいなので、なんとなくイメージできると思う
ウイリアムブレイクはこれを天国と地獄の結婚と表したのは有名だけど
両立不可能な対立物であり 対立仏がなければ進歩もない
という考えのもと
同様に分離がなければ求め合うこともない
欲望と分離のモチーフは
神話的なだけではなく
現実的にローマの建国神話にえがかれる
実在したロームルスとレムスの逸話は悲劇的なので
双子座神話の伝える悲劇性は ほかにも世界各地に及び
双子座神話は有限の肉体と不滅の魂(精神性)を持つ人間を
あらわしているともいわれ
神学上でも重要な命題を深淵な次元で提示してきた
ほかにも分身としての自己など
書き出すときりがないだけど
新たな次元で
新しい価値を
二元論からの自由をもたらすのではないか
となんとなく感じている
もっとシンプルに 自己に対して懐疑的になったこともないような
獣と大差ないような
本能的な欲求に毛が生えた程度の知性で
犬猫とかわらない人間がほとんどだってことだよ
バカバカしいくらい
通常の思考回路が 犬猫だから
そんなのが7割から8割
教育だけの問題じゃないだろうけど
戦後教育で そういう家畜(奴隷)の大量生産
この数十年でペットの所有率跳ね上がったけど
人間社会につかれて癒されてるだけじゃなく
そうして 思考しないものに囲まれてると
ふんとに 飼い慣らされてる自分自身に 気づかなくてすむ
けっこう 大問題だろうとは
思ってたけど
精神面の均衡が それで平静保ててる人たちが増加してる
傾向について 誰も語らないのがその証拠だと思ってた
それ以前の 人間社会では 家畜およびペットと
人というのには厳密に 一線があったものがなくなり
家族と化したっていうのは
獣性が高まったっていうよりも
人社会の欠損を補ってる気がしてたから
依存対象になったのはそういうことだろう
もっといえば 病んでる
善意で保護してる人たちもいらっしゃるので
自覚ある 家庭においては問題ないだろうけど
社会生活の変化のなかで
急激に変わったこととして 認識がないなら
認知能力以前に そうとう鈍い人たちで
奴隷人生をまっとうする組だから
気づかないほうが幸せだろうとおもってる
大衆化すると麻痺する そう言う人たちがたくさんいることの安心感というか 共感性がわからなくする面は大きい
そうして 社会的な問題は あらゆる意味で
無自覚に行われるから
覚醒になんて 程遠い人間ほど 目覚めた意識とかいう言葉に 引き寄せられるようなもの
一般論が嫌いな理由は そういうものを共有すると
完全に 自己の自発性からくる思考性が断たれる
誰かの答えを求めるような
マニュアル思考は育つけど
なぜなのか 考えないまま受け入れるなら
ロボットと これからはAIのが 人より思考してくれる
人にしか備わっていない感性を 役立てないまま
ふんと そのうちというかすでに退行してるかもしれないというのに
かつての時代 こんな高齢層だらけってことはなかった
人生50年くらいの寿命の時代にはなかった
視野狭窄と思考停止
若いうちの 感覚に肉体的に耐えられないから
どんどん 安定と安寧に依存してく
理解しながら恭順するのと
無自覚のままでは 行ってくるほどちがう
いつからか そういう変わらぬ社会といいはじめたころから
ふんとは社会悪化してるようないまを
疑問も抱いてない人たちのが多いのも
マスメディアの功罪で 集団安楽死にむかってるのは
半分くらいは ふんとうにそうだと思ってる
無駄に長生きしてる人がおおすぎてとかいうと
叱られるではすまないから こんくらいにちよう
存在理由とかしぬほど考えるのは 若年のうちだけだ
大真面目に そんなの考えて消耗できるほど
中高年にエネルギーなんてない
だから 会話もつまらなくなっていく
何をえたとかなしたとか 現実の事象を語っているようで
ふんとは なにもない 内面をカバーしてるにすぎないから
空っぽだったりする
それを恥と思わない
社会の堕落というよりも
資本主義の功罪だとおもってるけど
ポスト資本主義といわれながらも
終末の様相でも まだあと数十年くらいは
移行期なんだろうって思ってるけど
だいたい200年くらいのスパンで来る
社会と経済の変異 これはもう宇宙の理のようなもので
変化がこの世の常だから
ちなみに 資本主義が台頭するまえから
存在してきた社会構造や商業や官僚体制に
そもそもの 農業システムが誕生した
文明史の都市国家形成は6000年以上前に遡る
そのころから ほとんどいまとかわりないくらい
大枠は存在してたのだから
変わらぬまま存在してるなかで
搾取構造が変化してきただけなのに
資本主義を否定すると民主主義の否定とかいう
人までいるのだから ずいぶんめでたいのら
どうしたらそうなれるか 聞きたいくらい
現代病に浸かりきってる人たちが大半なら
懐柔は容易い
究極の実存なんて なにもなくても生きられる
そうなられると困るのが 社会システムってだけで
コロナのおかげで 経済はこっかがコントロール
してるってのが十分わかりきったろうから
ふんとにいまのものは 第二次関大戦以降の
社会システムの衰退
末期はもっともシステムの支配と権力が高まるから
こうして表現されるのかと思ってきたけれど
ふんとの意味での変化は 長い期間を経て達成されるから
一応 かつてのものはピークアウトしたとおもっていて
間違いはない
戦後の集大成はすぎたから
社会変化はかならず訪れるけれど
応用と結合がこれからのテーマだろうなってもってる
水瓶座時代は個の時代とかいってるけど
水瓶座は 共同性を司るから 真逆
個としての意味でいうなら 優秀な個人でありたいという理想とか理念があっても それは共同体的に反映され
自己を共有するのが水瓶座だから
分離は反対の獅子座的なあらわれでそれすらも
集合体のなかでの役割でしかない
個の目的のためじゃないのが水瓶座だから
それを 勘違いしてると
これからくる 泥臭い時代を そうとう歪めてしまうだろう
改革の惑星が天王星
これからは人間社会にもたらされるという意味で
社会的共有が 天王星の 社会変革
社会ときっても切り離せないのは水瓶座の象意で
個が利するように社会も利する
ヒエラルキーで 一部が集積をかっさらうのは
顕著にあらわれるのは
過ぎ去ってからだから まだ未完了
だからといって 突入していった時期とちがって
すでに 次の時代性は芽吹きはじめてる
優位性と同様に劣位性もともに利用された時代は
終焉にきてるってことだけど
これをちゃんと理解するなら
方向性はだいたいあってる
ジャンル別
12星座生まれとか
特徴を見ることがあったりするのだけど
マジかよ!
と思って探したけど
ふんとに見当たらない
そして個人的なことを言うと
オラはラノベ読みません
ラノベにアレルギーがあるわけじゃないけど
読む時間が無駄な気がする
こんなこと言ってしまうと
偏見に満ちてゆが
ライトノベルそのものが
体質的に 牡羊座に好まれるジャンルじゃ
そもそもないのでは………っていう
思いに至ったにょだが
オラが嫌いなのは 個人的趣向かとおもってたけど
書き手でいないって
他の星座さんは最低でもひとりは上がってるのに
ちなみにラノベ作家が複数いる星座
♊双子座
♐️射手座
♑️山羊座
♓️魚座
異世界ものがダントツの特徴示してるのは
やはり魚座だった
さすが海王星(想像性のイマジネーションを司る)に守護される星座さんら
山羊座は世界観も現実的
射手座は どっか冒険を含んでる
それにしても
へぇ〜〜 こんな顕著なのか
って
作家というジャンルの大きな括りのなかで
小説家は 牡羊座はけっこういる アーティストも
しかし
ラノベとなると皆無なのら
なんなんだろうね
やっぱし ラノベにはヒーローが居ないことが
対象外になるんじゃないのか
オラは ラノベのペルソナ設定的なもんが
もう最初から 負け組じゃんっていう
あれが 嫌いなんらよ たぶん
それを 異世界で解消すんなとか
おもってるから ああいう現実逃避は
性格的にあわない
イライラしながら 読むのすきじゃない
射手座の作家さんのは 読めそうだけど
なんとなく ぜんぜん 違う傾向的なものを感じてちなった
(ΦωΦ)フフフ…
こうちて ネタ帳に ひと項目が増えたにょら
(ΦωΦ)フフフ…
まぁ 目指してる人たちはいるかもだけど
該当するジャンル
魚座は教科書的にぜったい出てくるにょで
うちなる夢想世界を表現すると評価されやすい
射手座さんの場合は夢想じゃなく無双というほうが
正しい。高次の理想を追求するという意味での
世界観が異なっている
(ΦωΦ)フフフ…