AKOAKO’s diary

著作家☆西洋占星術研究家☆古代史研究者☆森村あこのブログです♪

Happy Holidays✨ 〜月日は百代の過客にして〜


 

 

 

  

数日前

 ↓↑  SNSの過去の思い出をシェアしたときに書いたこと ↑↓

 

そういえば

もう4年………

早いにゃ

月日は百代の過客にして

行きかふ年もまた旅人なり

↑ 有名な冒頭文だ  (ノ)*・ω・*(ヾ)

芭蕉かっこよすぎるぜ

とかおもってたティーン時代(まるで他人事)

しかし

この意味がわかってきた

いまとなっては

そうか年齢がおいついたのか

とおもってみたら

奥の細道

元禄2年3月27日~9月6日 芭蕉(46歳)

すでに

芭蕉の年を追い越していた(・ω・;))

オラは来年年女だ

なるほどなぁ

  そりは 実感として理解もできる

  ふんとに いろんなことが 

   もう他人の物差しとか 必要なくなったの

三十路の後半くらい

  他人のものが消えていくと

   残るのは自己感覚だけで

   逆にいえば 投影や借用がなくなることが

  孔子のいう

   四十にして惑わず

若いときに いろいろ研鑽積んで 経験したり学んだり

したことの 集大成は 

  当然だけど 人生後半

もっというと 若いころは自己欺瞞からはじまる

 あるいは マズロー的にいえば

  最上で 自己承認欲求

 自己実現とイコールで考えがちだけど

  真の自己実現と 承認欲求のまじった自己実現

 次元が異なる

  これは 成功の規模とか結果がどうのとかではなく

 動機の問題

  まぁ他人が 押し測れるもんじゃないといえば

 それまでだけど

  ひとつ言えるのは 人は自己というバイアス(媒体)通して

  しか 理解はできない

  だから 最終的には 自己がその限界で

  限界突破も 常に自己ありき

   ようは戦う相手が自己だというのも ある意味真実

  それ以上の敵はいない

   課題をもたらすのも自己で 他人は媒介で

    運び手であって 当事者じゃないのだから

  そんな話じゃなかった

  若いときは わかった気がする感覚だけで

  実感を伴わない

   なんとなく の心もとない感覚

  たとえば

  いまなら

    奥の細道は 冒頭文よりも

  タイトルの 秀逸さに 驚愕する

高校古典じゃないけど

 テキストによっては

 たしか序文は 漂白の思ひ とか

 旅立ちの 心境を 現代語訳しろっての 多かったとおもう

 10代のガキんちょに 四十路半ばの 芭蕉の心情なんか

 本気でわかるわけなかろう

  むしろ そんな軽々しい立場で 

  こうなんだって 思い込む

  なんとも浅はかよのう

   人の世のことも人の心も 本当にはわかっていない

  若年だから 学ばされる意味があるのか

   だけど それはとんでもない勘違いだ

  ティーん時代に 個人的に よく研究した人は

   芭蕉のほかにも 西行

    もう西行の境地に至れたら

   ふんとに 仙人のようだろうと

     吉野の桜を見ながら  西行庵で

   しばらく佇みながら

     おもっていたのと もしかしたら

  違うのではないかと気づいたのは 20代のはじめ

   どうしても 重ならない

    それは イメージが美化されてたせいもあろう

   逃れられない なにか そういうもののほうが強く感じたのは 吉野の土地柄かもしれないけど

  芭蕉は その生家を 偶然 にも訪ねたのは

 数年前 

  伊賀に旅行したとき

  そういえば 伊賀の出身だったと

   散策 

   芭蕉が旅立ちのまえに 奉納した「貝おほひ」

  29歳のときに 上野天満宮(伊賀)に納めて

   その心中はいかほどか

   俳諧作法書「俳諧埋木」を伝授

  ふんとの意味での 独り立ち

  マジでサターンリターンか

  とか思いながら

   俗人な芭蕉かんかくが微笑ましいとおもった

  人間としてとらえられるようになっていく

  偉人伝とかは 脚色 盛ってるうえに伝説化なんか

されてるような人たちや 神格化されてたりするようなのは

  もう 存在が象徴でもあるから

  人間味がうすれている

  そういう意味でいえば イエスキリストもそうだけど

 ばかばかしい

   ただの 小汚い一介の民草

    死後の 神格化は 周囲の罪悪感のため

  世界を変えた

   生きてる間に変えた偉人とは 比較にならない

   歿後の悪利用

   もっというと死していたからこそのだ

  生前には なんの 福利もなかった ゴッホもそうだけど

  構造は同じ

    こういう 側面から語ると

    反論は多くあるだろう

   だけど 同じ なのは 歿後は なんでもあり

   美談となるほど 高く売れる

  それだけだ

    (ノ)*・ω・*(ヾ)モフモフ 

  なんで こんなこと言ってるかというと

   学業は一応 習得し 苦手なことも山とあったけど

   国語系は 苦労しなかったにょで

  むしろ 揚げ足とっていく 言語の遊びがひどいとか

  で怒られることは多かったけど

  だから なんか 解釈になっとくいってない

   ものの多くは 故人の 心境考察が

   割れるものとかは

    永遠に 未解明だろうし

   韻をふむように ところどころ 隠していたり

    言葉は 時に暗号文のようだともおもってきた

  わかいときは 表面や表層しか どうがんばっても

   理解のしようがなかった

   中年以降の 学習のすばらしいところは

  それまで パーツのパッチワークにすらならない

 断片の数々が 複合的な 構造として

  立体的に理解できるようになること

   二次元から三次元へようやく至れる

  ときには 天性の才によって 卓越した人たちも

  いるかもだけど

  年齢相応の感覚は やっぱりあるのら

   ということは 老境も いま思ってるのと

  余生が与えられていたとして 数十年後に

 感じるものは いまと同じでは当然ない

  そういう深みは 書物では伝えようがない

  想像すらしないよりはと 教えられる 道標的なもの

  音楽とかもだけど

   このところ思うのは   

    若年のときに感じてたものと 同じではないということ

   耳あたりのわるさに苛立ったりとか

    消しとばしてやりたいように思うような戯言も

    若年のうちは、ナマいきいっちゃいけないとか自粛したことも

いまなら 素直に そう言える 

  むしろ正直に 言ったほうがいいと思える

  こりが自己感覚

  それ以前は 他者感覚を どこかで優先しなきゃという

  模倣 そして 壊さないことをよしとした

  そして やっぱり

   若いころから 疑問が生じてたものは  

   理由があってのもので 

   あながち ズレてもいなかったんだなって おもったりする

 後世の人が勝手に持ち上げようとも

  なんか 違うという感覚のが 真実に近いと思える

  (ノ)*・ω・*(ヾ)モフモフ 

 一度現象から 離れる その体験が

  確かなものをとらえる感覚を 強固にした

   依存の塊だった 若いときには 土台無理

 土台がないだから

  土台の構築は 後半生で

  それも だいたい五十路以降なんだよ

  諸君!

  視点変化も プロセスあってのものだけど

  あっさり4年とか あっというまとはいえ

  その間に 自己の内部変化は

   激しいものがきっとある

   どんどん 削ぎ落としてく作業が

  たぶん この4年前ごろ

 

 

 

PS :タイトルのHappy Holidaysは

   近年 キリスト教以外の他宗教の人たちや

   あるいは他宗教を慮っての挨拶とされている

 

  だが それは違うだろう そもそもキリスト教

  アホなくせに小狡かった コンスタンティノスが

  303年にミラノ勅令で 国教化して以降

  政教一致ででそれ以前の 文化も宗教も すべて廃絶した

 ローマの多神教時代はいまのクリスマス休暇

 この期間は サートゥルヌスの大祭期間 

  サートゥルナリアは農耕神サートゥルヌスを祝した祝祭で

 7日間にわたっておこなわれた

  この祝祭の特徴は 奴隷もこの時だけは解放されて楽しんだとあるけど

 実際 社会的立場の入れ替え 奴隷と主人が立場上入れ替わって

 饗宴するなど  土星というヒエラルキーや時間や制約や制限を司る神の

 催事は そうしたものからの解放というのは よくできてると思う

  生贄をささげる習慣はサートゥルナリアに限ったことではなかったけれど

 この冬至祭ともいえる 祝祭が 後の 宗教に習合されていったのは

  この催事が特別だったからだろうと思う

  そもそもは第二次ポエニ戦争でボロ負け惨敗して雪辱をあじわった

 ローマ軍や市民の士気を高めるために催されれたのがはじまりで

  あまにり盛り上がったので祭りは延長され一週間にわたった

  はじまりは紀元前217年ごろで 定着したこの祭りが ちょっと長すぎると

  短くしようとした アウグストゥスやカリグラ帝は

    ローマ市民の不興を買って 大規模な反乱まで引き起こした

 なので、この習慣は 廃されずに習合されたのだろうと思う

 

余談だけど

  土星は 時間や制限や枠やヒエラルキーと書いた

  その時間と運命を司る神 サートゥルヌスは 

   サターンと呼ばれ 違う意味で忌を負わされたものは

  本来の姿ではない

   サートゥルヌスの遺跡や ヴェスビオ山の噴火で失われた

 ヘルクラネウムの遺跡などで発見された

  SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS      

  この上から読んでも下から読んでも

  回文となる ラテン語は サートゥルヌスや

  古代の信仰に起因する

  けれども

   これは キリスト教などに奪われ

  いまや 間違った伝わり方をして

  魔術的な扱いにされている

   起源はぜんぜん違う

かってに踏襲されたあげく 借用どころか

  べつものに変えられたものを

   これから長い年月かけて 戻す

  それはもう 元とも異なるけれど

   位相変化に 同期をとるので

    そういう方向で いっている

 

土星内惑星(インタープラネット)だけの時代に

  いろいろ規定したものは それ以前の ものとも異なり

  中世の暗黒時代を 土星に象徴するように

   支配のために そうとう禁忌をたくさんつくって   

  理解できないように 施されたものは

  現象世界ではないところに 置かれているので

   土星外惑星(アウタープラネット)

 を理解することは 重要なのら

   そして それを………ある意味

  長い年月かけても獲得できないものを

  当たり前に使用するのは リスクのが大きく

  隠されてきた面もあり

    中高年がふえてくると

  年齢域は土星期にはいったり さらに先へ

  天王星の領域も 多くなってくると

   開示することのが大事なんだろう

   ヒエラルキーの発想は土星までなので

  それ以降は意味をなさない

   そうなると 不都合な人たちが ずっと

   それ以外を否定してきた

  くだらないと思うけど

   これからの時代は 共有がベースなので

  全体のためじゃない 一部のためだけの囲い込み系は

  衰退する そこには生命力がないから

   なので何を好むかで 判断したらいいとおもう