AKOAKO’s diary

著作家☆西洋占星術研究家☆古代史研究者☆森村あこのブログです♪

✨ロマノフ家の最も価値ある至宝と『グレート・リセット』 ~The Imperial Crown of Russia~

ロマノフ家の最も価値ある遺産

The Imperial Crown of Russia~

by Catherine the Great 

1762~1917

 

 

この皇帝王冠が制作される以前、

ロシア皇帝戴冠式には、1回限りの王冠が用いられていた

 

王冠をめぐる歴史がかわったのは

 

1762年にエカテリーナ2世が即位したときから

 

彼女は、自分の戴冠式で用いる王冠を特別にしつらえた

 

スイス人宝石商、ゲオルグ・エカルトと、やはりスイス人のダイヤモンド細工師、

ジェレミ・ポジエに委任し

 

その作成に際して、できばえが見事でなければならないことのほかに、

一つの最も重要な条件が加えられていた

それは 女性である彼女が

 

4時間にわたる戴冠式で苦痛を味わわないで済むように、

王冠の重量を2キロ以下に抑えるということ

 

そして

この

エカテリーナ2世の王冠は、

恒久的な「聖遺物」となった。

なぜなら

エカテリーナ2世の息子で次代皇帝のなったパーヴェル1世は、母親を憎んでいたにもかかわらず、王冠を処分してはならぬと宣言したから(それまで代々の皇帝は、それ以前の王冠は処分してきたからだが)

 

王冠をかぶる(公の場で披露される)のは特別な場合

のみ

......祝祭日、謁見、葬儀などに限られ

 

 この王冠で戴冠した皇帝は、

ロマノフ朝の8人の帝王たち

すなわち、

エカテリーナ2世、ピョートル3世(死後に戴冠した)、パーヴェル1世、

アレクサンドル1世、ニコライ1世、

アレクサンドル2世、アレクサンドル3世、ニコライ2世..

 

ニコライ2世といえば

 

ロシア帝国最後の皇帝のあの悲劇

1917年3月、ロシアで約300年続いた王朝・ロマノフ朝が倒れ

 

ロシア帝国最後の皇帝、ニコライ2世とその一家が銃殺された後、多数の宝飾品がボリシェヴィキの手に落ちた。これらを扱うために、

国家機関の「ゴフラン」(ロシア国家貴金属ファンド)が創設され

ゴフランの課題の中には、集められた財宝の保管と「非個人化」、

そして「処分」が含まれていた

 

それに伴い

 

宝石は金属板から取り外され、外国への売却と引き換えに、

借金や借金繰り延べが試みられた。

ゴフランの黄金局を率いていたのが、

皇帝一家処刑の主要な「刑吏」ヤコフ・ユロフスキーで、

彼は、一家の殺害と遺体焼却を指揮した人物でもある

 

 このユロフスキーのもとで、王冠の売却も試みられたのだが、こうした取引の可能性は、広く伝わり、外国のマスコミで大きな反響を呼んだ。ツァーリのダイヤは血にまみれている....という風評もたち

 

1934年ごろから、スターリン自らの命令で、皇室の貴金属の売却は停止された。

けれどもそれは、王冠に価値が認めらたたためではなく

ただ、党の評判を損なうからにすぎなかった。

 

「刑吏」がすすめていた巨額の取引はこれによって停止

 

王冠が欧米に売却されなかったのは偶然にすぎないが

 

ロシアの至宝は

他国の手に堕ちるのを免れたのだ

 

1920年の時点で、王冠の評価額は、5200万ドル 。何しろ、この王冠には、5千個以上の宝石がちりばめられ、合計2858カラットもあった。最大の宝石は、400カラットのレッドスピネル

 

1985年に王冠は修復され(ボリシェヴィキ政権が売却しようとしたので、すべての宝石が残っていたわけではなかったため)

1998年クレムリンのダイヤモンド庫に収められた。

 

この時、王冠の価値は「評価不可能」とされた

つまり、王冠はあまりに貴重で、金銭でその価格を定めることはできない、という....

 

まぁそうだろう

素晴らしすぎる!

 

そして

王冠は決してロシアから持ち出されたことはない、

と公式にいわれているように

1991年からは、モスクワのクレムリンからの持ち出しさえ禁じられた

 

それほどの価値ある王冠なため

2012年、スモレンスクの工房「クリスタル」の60人の職人が、この「皇帝の大王冠」の正確なレプリカを作った。オリジナルの王冠とは異なり、価格がついたのは。1億ドルの保険がかけられたためで

 

2015年、10億ルーブル(当時のレートで1500万ドル)の値段でオークションに出されたが、買い手はついにつかなかった... .

 

 

 

PS:

ロマノフ家の出自に関しては所説あり

成立は

1613年 ミハイル・ロマノフがリューリク家のイヴァン4世の後継者として

皇帝(ツァーリ)に即位したときからはじまる

その後1721年にピョートル1世がインペラトールを名乗り体制をロシア帝国に改め

西欧化を推進し、1917年にロシア革命で滅亡した

皇帝王冠は

ロマノフ朝およびロマノフ家の最期を見届けた特別な聖遺物でもあり

ロマノフ朝の断絶となる

ロシア革命の勃発、

そしてロマノフ家の処刑が行われた1917年は冥王星の発見前ではあるものの

ちょうど蟹座の4度のころ...

オラは蟹座の3度に月があり、n冥王星が天秤座の5度なのだが

 

蟹座はルーツや家系にまつわるもの

冥王星は滞在星座の象意を根底的に破壊し、そして再創造する

 

蟹座・冥王星は家庭や社会の平和、ホームやルーツの深くに潜行して

ときには冥王星のもつ暴力的なまでの破壊力で

徹底的にぶち壊し

新たな神話体系をもたらした

 

冥王星が蟹座入りしたのは1914年(第一次世界大戦の勃発した年)

 ロシアの場合ロシア革命、そして王家の殲滅によって

ロシア帝国の崩壊、そして数年の内紛と革命iをへてソビエト連邦が誕生する

 

この王冠の記事は、たまたまFBで上がっていた王冠写真を見て

補足で書きたくなってフィードに載せたものだけど

 

なんで 気になったのかなぁ

と思って

他にも理由があったかもと思ったら

いま、もうすぐ山羊座でのステリウム「カプリコーン・ステリウム」が終わるとしている

 

山羊座での

木星冥王星コンジャンクションは今年 2020年4月5日、6月30日、11月12日に起き

その前は2007年12月11日で サブプライム問題の勃発した年でもある

米国の低所得者向け高金利住宅ローンの焦げ付きに発し、

世界経済を大きく揺るがしている金融危機で リーマンショックを引き起こした

 

いまの実態経済からかけ離れた株価といい

あきらかに...前夜としか言いようがないけれど

現象が 明らかにあらわえるのは来年以降

 

 

今年がグレート・リセットのはじまりといわれる所以はいくつもあるので

これまでにも書いてきたけれど

 

想像を絶するパラダイム・チェンジになるのは

蟹座のスケールアップしたものが山羊座であり

ヒエラルキーのトップだから

もう後はない....

 

おそらく多くのものが

既に終焉の鐘が鳴り響いていることを知覚されていることと思う

 

それは

創造的破壊という冥王星の使命でもあり

 

星座を抜けていくときに最も色濃くあらわえる

イングレスは兆しであるから

 

ふと この王冠をみて蟹座冥王星時代を

再考したくなったのかもしれない

 

これ以上は書かないけど

 

王国の崩壊は組み込まれているということ

 

蟹座は家だけど山羊座は国だから

 

もう少し詳細は、また改めて書くとする...